2009年 04月 07日
4/7(火)~4/21(火)は「aftermanymanyブロンド女とナッシュビル」 |
すっかり春らしい毎日が続いています。
4/7(火)~4/21(火)の2週間、
「はすとばら」はいつもと少し違った空間になります。
「aftermanymanyブロンド女とナッシュビル」
ミカエル・ジョンソン&少女フランキーデコレーションワーク094月7日‐21日
営業形態は通常通りで、普通にご飯が食べられます。
4/10(金)と4/17(金)の23:00~は、
「aftermanymanyブロンド女とナッシュビル」のナイトパーティになります。
どんな世界が展開されるのでしょうか。。。
是非、遊びにきてください。
以下、主催者さんからのコメントです。
「aftermanymanyブロンド女とナッシュビル」
ミカエル・ジョンソン&少女フランキーデコレーションワーク094月7日‐21日
(10日、17日、23時‐ファンシーでオブジェなStrangeParty)
21世紀になったばかりの頃、東京の食堂というコンセプトでデビューした青山の
先端的なカフェで食事を口にした瞬間、その仕掛人の食べることへのこだわりは
承知していたのですごく驚いた、ひいている、遠近法的にひいているのだ、出さ
れたものがインパクトのあるヴァイオレンスでマッチョな存在感で勝負するのでは
なく、ひいている、食べものの存在感がそのお洒落な空間との、青山で食事をす
るという、そこで会話をするという各人が抱いているシチュエーションとのバランス
感でコーディネイトされている、さすが、その後さらにメジャーに進化する青山の展
開を見越した考え方なのだと解釈した覚えがある。
はじめて、はすとばらで食べものを口にした時、一瞬アタマにイメージしたのがその
記憶であり、食亊をするということがグルメな記号の、あるいはマッチョに食べる体
験の消費になっている時代にあって、食事をすることの素敵な贅沢さ、それは時間
の流れてゆく様を、空間の奥行きの感触を味わいつつ、愛する人と一緒に旅するよ
うな美しくゆらいだ記憶として食べるということ、食べることのメタフォリカルな広がり
になっているというWetな豊潤さを感じた。
いつでも、時間がそうであるように空間も流れているはず、はすとばらで固定してい
るものはなく、あるときはディナータイムのエレガントなまどろみの中で、あるときは
バーの時間のゆるやかに延びてゆく意識の地平線にむかって、そして夜もやさしく
更けていった、彷徨時間のストレンジなパーティタイムであっても、はすとばらでは
いつもすべてが流れている、あるストレンジな異界である異海にながれている。
そんな想いとしてのデコレーションワーク、大好きだった20世紀アメリカンポップへ
のオマージュをまぶしつつ、はすとばらに、1950年代のハリウッド映画のルックス
の濡れた写真が飾られて、私自身がはすとばらに漂っているという夢、をみている。
ミカエル・ジョンソン
4/7(火)~4/21(火)の2週間、
「はすとばら」はいつもと少し違った空間になります。
「aftermanymanyブロンド女とナッシュビル」
ミカエル・ジョンソン&少女フランキーデコレーションワーク094月7日‐21日
営業形態は通常通りで、普通にご飯が食べられます。
4/10(金)と4/17(金)の23:00~は、
「aftermanymanyブロンド女とナッシュビル」のナイトパーティになります。
どんな世界が展開されるのでしょうか。。。
是非、遊びにきてください。
以下、主催者さんからのコメントです。
「aftermanymanyブロンド女とナッシュビル」
ミカエル・ジョンソン&少女フランキーデコレーションワーク094月7日‐21日
(10日、17日、23時‐ファンシーでオブジェなStrangeParty)
21世紀になったばかりの頃、東京の食堂というコンセプトでデビューした青山の
先端的なカフェで食事を口にした瞬間、その仕掛人の食べることへのこだわりは
承知していたのですごく驚いた、ひいている、遠近法的にひいているのだ、出さ
れたものがインパクトのあるヴァイオレンスでマッチョな存在感で勝負するのでは
なく、ひいている、食べものの存在感がそのお洒落な空間との、青山で食事をす
るという、そこで会話をするという各人が抱いているシチュエーションとのバランス
感でコーディネイトされている、さすが、その後さらにメジャーに進化する青山の展
開を見越した考え方なのだと解釈した覚えがある。
はじめて、はすとばらで食べものを口にした時、一瞬アタマにイメージしたのがその
記憶であり、食亊をするということがグルメな記号の、あるいはマッチョに食べる体
験の消費になっている時代にあって、食事をすることの素敵な贅沢さ、それは時間
の流れてゆく様を、空間の奥行きの感触を味わいつつ、愛する人と一緒に旅するよ
うな美しくゆらいだ記憶として食べるということ、食べることのメタフォリカルな広がり
になっているというWetな豊潤さを感じた。
いつでも、時間がそうであるように空間も流れているはず、はすとばらで固定してい
るものはなく、あるときはディナータイムのエレガントなまどろみの中で、あるときは
バーの時間のゆるやかに延びてゆく意識の地平線にむかって、そして夜もやさしく
更けていった、彷徨時間のストレンジなパーティタイムであっても、はすとばらでは
いつもすべてが流れている、あるストレンジな異界である異海にながれている。
そんな想いとしてのデコレーションワーク、大好きだった20世紀アメリカンポップへ
のオマージュをまぶしつつ、はすとばらに、1950年代のハリウッド映画のルックス
の濡れた写真が飾られて、私自身がはすとばらに漂っているという夢、をみている。
ミカエル・ジョンソン
by HASUTOBARA
| 2009-04-07 07:01
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